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飼い猫のマミちゃんと一緒に、動物との共存・共生について考えみようと思います。
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私の家は、郊外にあるありきたりな住宅街の一角。ゴミの集積所がちょっと離れたところにありますから、収集日には住宅街を通り抜けてゴミを持っていきます。歩きながらいつも思うのは、犬の姿も猫の姿も、なぜこの住宅街には見られないのだろうということです。

かつては、街を歩けば門や塀の上にのっそりと猫が日向ぼっこをしている姿がありました。犬を散歩させる人の姿もありましたし、その犬に向かって吠え付く、庭につながれた犬の声が聞こえたりもしました。今はとにかく静かなのです。

人間だけがひっそりと生きている住宅街は不気味です。他の生き物の生きる余地のない場所…あるいはそれを許さない場所…。そこに住む人たちは、どんなちっぽけな命にもある、魂のぬくもりというものをきっと知らないに違いありません。不幸なことだと思います
 

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最近、襟元に毛皮のついたコートを着ている人たちをたくさん見かけます。あの襟元の毛皮がどんな動物の末路であるかを知れば、たぶん購入する気にも、まして着る気にもなれなくなるのではないでしょうか。

中国製の毛皮は主に「犬」が使われているそうです。犬たちを安楽死させて毛皮を剥ぐのではありません。生きたまま吊るし、毛皮を剥ぐのです。そのほうが毛皮の品質が損なわれないこと、なにより安楽死させるための薬品代などを節約できるからだそうです。毛皮を剥がれされてのたうちまわる犬。首元を飾っているのは、そんな犬達の末路なのです。

問題なのは中国だけではありませんし、犬だけではありません…。どんな国であれ、どんな動物であれ、毛皮を欲しがる消費者がいるかぎり、供給するルートを持っているということ、動物の命を無用に奪っていること、これが一番の問題なのです。日常に不要な毛皮は買わないで
 



栃木県まで車で行ってきました。結婚をして栃木県に転居した友人の家に遊びに行くのが目的でしたが、私の家から車で4時間かかります。途中休憩を何回か入れながらのドライブでしたが、利用したのはもっぱら道の駅。採れたての野菜や、放し飼いの鶏の玉子が売っているので、つい買い込んでしまいました。

栃木県といえば苺の「とちおとめ」です。もちろん迷わず買ってきましたが、はちみつをかけたのかと思うほど甘く、花の香りがしてとても新鮮でした。雪を被る山並みを見ながらのドライブは、新年にふさわしい、清々しいものとなりました。

それにしても途中、「女化」と書いて「おなばけ」と読ませる地名がありましたが、なんだかおどろおどろしい感じがします。由緒ある土地なのだと思いますが、「おなばけが丘」とかにしてはどうかしらと、ちょっと思ったりして。
 



連れ合いはログハウスファン。結婚をして、新しい家を建てようということになった時もログにしたかったようです。ただ、メンテナンスがなかなか面倒らしいことと、候補地は普通の宅地ですから、自然に恵まれた広い敷地の中で、緑に囲まれて建つ「草原の家」というイメージにはなりそうもなく、断念しました。

今なお、ログハウスを建てることを夢見ているようですが、あれだけ多くの木を使って自然破壊にはつながらないのかしら?

日本では杉間伐材を使っているということで、木を切り出して山を管理していくことが逆に森を守ることになるのだとか。また、100年たった木を使って100年もつようにログハウスを建てると、その100年の間に植えられた木が生長し、次のログ材として使えるようになるというサイクルができあがるので、木材資源は半永久的に利用する事が出来るんだそうです。

でも、これも今ぐらいの普及率だから言えること。今後、ログハウスが儲かるなんていうことにでもなれば自然破壊はあっという間。破壊しつくすまで自然を犠牲にしての金儲けに走るのではないでしょうか。人間のすることですから、油断はできません
 



お隣さんが新年のご挨拶に見えました。英語教室を開いているので、親御さんが子どもの送り迎えに車を使っていて、きっと迷惑をかけているだろうからという、お詫びを兼ねてのこと。

確かに狭い道路に何台も車が止まっていると、車の出し入れに不自由することはありますが、迷惑だと思ったことはありません。最近は「お互い様」という気持ちが薄れ、自分だけの迷惑を主張する人が増えてしまっているように思います。住みにくい世の中になってしまいましたね。
 



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