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飼い猫のマミちゃんと一緒に、動物との共存・共生について考えみようと思います。
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ミツバチが激減しているそうです。日本だけかと思っていたアメリカもなんですね。4月3日の産経ニュースにこんな記事がありました。

「石破茂農相は3日、閣議後の記者会見で、農作物の受粉を仲介するミツバチの実態調査を全国的に実施する方針を明らかにした。一部地域でミツバチが減少しているためで、調査結果に基づき、代替となるハチの利用や、輸入促進などの対策をとる方針。ミツバチ減少をめぐっては、千葉県の生産者団体らが農相に対策を要請していた。農相は会見で、「千葉県の実情だけでなく、各都道府県での状況を早急にとりまとめる」と述べた。ミツバチはスイカやメロンの受粉などで幅広く使われている。米国では2006年ごろに巣箱から大量に姿を消し、問題になっているが、原因は明らかになっていない。」(全文)

ミツバチにつくダニが原因で死滅してしまったという説もあるようですが、虫や動物が姿を消したり、大移動したりするのって、なんとなく天災の前触れといった感じがして不安です。それにしても、スイカ、メロン、それに苺などの果物は、てっきり人間の手だけで作る人工的なもの、そんなふうに思っていたのですが、ミツバチを温室の中に放して受粉させていたんですね。自然の恵み、感謝しながら頂かなくちゃ!
 

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春らしい陽気が続き、庭に雑草がずいぶん目立つようになってきました。春にしっかり雑草を摘み取っておけば、夏になっても庭の手入れがラクだと言われていますが、いざ草取りを始めると、可憐な花をつけているその姿がとても愛らしくて、抜く気になどなれません。

それなら花のついていない雑草だけでもと思うのですが、花が咲けば摘まれないのに、花が咲かないと容赦なく摘まれてしまうなんてとても不条理、そう思えて、またしても抜くことができなくなるのです。このまま庭をボーボーにしておくこともできず、春ってなんてアタマの痛い季節?!
 



南房総に花摘みに行きました。今年はちょっと遅かったので、お花も終わってしまっているかも…と思いながら行ったのですが、まだ花摘み農園はやっていて、両手いっぱいの花を摘んできました。

お天気がとてもよかったので、鯛の浦にも足を伸ばし、鯛が見られるという遊覧船に。さすがに海風は冷たく、手が凍えてしまいそうでしたが、海に餌を撒くと寄ってくる鯛の、普段見慣れている姿とはがぜん輝う生命の輝き、美しい姿に思わず感動してしまいました。楽しい思い出になりました。


庭の木蓮が満開になり、今年も目を楽しませてくれました。過去形になってしまったのは昨晩の大風のせい。まだまだ咲き続けてくれていたでしょうに、さすがにあの風では耐えることはできなかったようで、庭一面に花びらが散っていました。

この木蓮、10年ほど前に庭に植えた時にはまだ1メートルほどだったのですが、今では2階の屋根を越えるまでに成長しています。花がすべて散り終わると今度は青々とした葉を茂らせ、暑い夏の太陽を遮る心地良い日陰を作ってくれるのです。
 



春らしい陽気になり、猫たちも恋の季節らしく、時々縄張り争いでもしているのか、喧嘩の声が聞こえてきます。こんな風景は俳句の格好の材料で、恋猫だのうかれ猫だのは立派な「春」の季語。ところが最近では、こんな猫の鳴き声がうるさいと言って苦情を言う方もずいぶん増えているそうです。犬が怪しい人影に吠えればうるさいと言い、猫が恋に狂えばこれまたうるさいと言う。とにかくシ~ンと静まり返った静寂だけが人間にとっては快適な世界のようです。

他者の存在を許さない、自分にとって「迷惑」であるものはすべて排除し、自分にとって居心地が良ければそれでよいとする風潮。それで良いのでしょうか?人間の他に生きるものの姿が見えない世界、人間の声以外に何も聞こえない世界…これは極めて人工的に作れられた社会でしかありません。それは、人間の「心」などというものが必要なくなってゆく社会につながってゆくように思えてなりません
 



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