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飼い猫のマミちゃんと一緒に、動物との共存・共生について考えみようと思います。
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岐阜市にある「日本動物介護センター」(山口常夫理事長)というNPOは、障害者の日常生活を手助けする介助犬の育成やしつけの訓練をしている組織だそうです。そのNPOが被災地から避難してきた犬を100匹預かる計画を立てているのだとか。「預け先が見つからなければ心配で避難できない」という飼い主の手助けをしたいということなのだそうですが、4月からスタッフ2人と交代で被災地に出向き、「わんちゃんで困っていることはありませんか」と呼びかけ、飼い主から預かって岐阜市と富加町にある訓練施設に保護しているというのですから、その情熱は生半可ではありません。犬は1年をめどに預かり、飼い主の事情に応じて、新たに引き取ってくれる人を探すそうです。

五月の連休にはボランティアが現地に大勢出向いたようですが、ボランティアというのはどうしても自己満足に陥りがちですよね。一日参加しただけで、後はすっかり忘れてしまうなんていう方もたくさんいるのではないでしょうか。私も児童相談所でボランティアをしようと考えたことがありましたが、施設長からこう言われました。「継続する意志がないなら子供を傷つけるだけです。いろいろな人がやってきて、数日子供を相手にしたらもうそれきり。子供たちはまた見棄てられたという感情になるのです」と。NPOというのは設立するときにしっかりとした理念が必要です。被災した動物たちを最後まで責任を持って預かるという「日本動物介護センター」にはそれがあったのでしょうね。 
 

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テレビを観るのが、ここのところちょっと嫌になってきています。3月11日以降、悲しい話ばかりが放送されるからです。恐ろしい形相をした津波に飲み込まれてゆく家や車の映像を、あれからいったい何回目にしたことでしょう。映像の奥では、たくさんの方たちが、恐怖に怯えながら命を奪われているのです。誰も乗っていない車ではありません、誰も住んでいない家ではありません。津波から逃れるために車を必死で走らせていた方もいたことでしょう、高齢のために家から離れられなかった方もいたはずです。すべてが津波に飲み込まれてしまいました。その数は2万数千人におよびます。

庭につながれていた犬も、エサをもらいに来ていた猫も、ごっそりと波にさらわれてしまったに違いありません。その後も警戒区域に残された犬猫、牛や馬の姿をカメラは追っていました。生きとし生けるものすべてを不幸に陥れた地震。致命傷はメルトダウンしてしまった原発でした。つい2ヶ月前までは、人も動物もこのうえなく平穏に暮らしていたというのに、その生活のすべてを大災害がぶち壊してしまったのです。千年に一度あるかないかというほどの大災害にめぐり合ってしまった私たち、それは運命なのでしょうか・・・



ちょっと道を走れば、一面に田んぼが広がるというこの地域。この間まで真っ黒い土しか見えなかった田んぼが、もうすっかり稲の緑に覆われています。昔は田んぼに行けばサリガニやどじょう、あめんぼ、めだかなどたくさんいたものでしたが、今は生き物の姿はなにもありません。農薬でほぼ絶滅してしまったのでしょう。

稲が稔る頃には田んぼを多い尽くすほどいた雀も、ほとんどその姿が見られなくなりました。雀は害鳥として駆除しているようで、先日、「明日、朝6時から害鳥の駆除を行います。安全には十分に注意しますのでよろしくお願いします」という放送が流れました。何も知らずに夜の闇の中で眠る鳥たち、何も知らずに朝を迎える鳥たち、その鳥たちの運命を思うと、なんとも気が重くなるばかりでした。明け方聞こえるパスッ、パスッという銃の音に命の消える瞬間を思い、ひたすら耳を塞いでいました。共存はもう不可能なのでしょうか。
 



鳩山首相が辞任してしまいましたね。政治手腕はともかくも、小泉元首相の弱者切捨ての政治から、「友愛」という大切な心の政治への転換が計られることをとても期待していましたので、残念でなりません。

民主党量議員総会で「テラスのところに1羽のムクドリが飛んでまいりました。どうもそのムクドリ、実はわが家にいるムクドリとまったく同じでした。あ、失礼。ヒヨドリであります。鳥の名前を間違えて。1羽のヒヨドリが済州島のホテルに飛んでまいりました。そのヒヨドリはわが家の、わが家から飛んできたヒヨドリかな。姿形が同じだからそのように勝手に解釈をして、そうか、この鳥も早く、もうそろそろ自宅に戻ってこいよ。そのことを招いているようにも感じたところでございます」 という演説をされたようですが、結果的にこの繊細な感性が首相には向かなかったのかもわかりません。

でも、たった8ヶ月で自宅に帰ろうとする鳩山さん、もし国を背負うという自負が本当にあったのなら、ヒヨドリの誘いがあっても帰ってはいけなかったのではないでしょうか。ヒヨドリが誘うこともない、帰るところを失った国民のために、自らを犠牲にする覚悟が鳩山さんにはなかったのではないかと、そんな気がするのです。



自然の多い田舎に住んでいると、時々、都会の風が無性に懐かしくなります。緑もないし、鳥の声も聞こえないし、狭い土地で、窓をあければ隣の窓。実際にそんな生活をしたら、すぐに息が詰まって逃げ出したくなるだろうとは思うのですが、人間関係が濃密な田舎暮らしから開放されたいと、時々真剣に思うことがあります。

先日、ちょっと用事があって新宿(東京)に出かけました。久しぶりにの雑踏の中、都会の雑然とした空気がとても心地よく感じました。住宅街に足を踏み込んで、改めて一軒一軒の土地の狭さに驚いたりもしたのですが、それでも、都会の家並はどことなく垢抜けていて、フェンスやその建物のモダンな色使いや形に、なんとなく安堵を感じます。

やっぱり、都会に戻りたいなあ…そう思いながら歩いていると、ちょっと豪華なお屋敷。でもなんだか荒れています。庭は草ボウボウで、よく見ると、塀伝いに100本はあろうかという水入りのペットボトル!侵入者を嫌ってのことなのでしょう。たぶん、猫だと思います。土地が狭いということは、お互いの領域を簡単に侵せてしまえるということなんですね。人間以外が住む余地を失っている場所、それが都会なのかもわかりません。
 



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